「日本スキー100周年記念式典」新潟上越市で開催
2011.01.12
オーストリアの軍人レルヒ少佐が我が国で初めてスキー技術を指導してから100年の節目となった12日、新潟県上越市で記念事業が行われ、国内外からの来賓、スキー関係者、一般市民らが出席しました。本会からも、原田廣記会長・門脇竜二幹事長・小原良昭幹事が列席。以下は、現地での式典参加の報告です。
新潟県には記念式典のパンフレットが多数発行(報告1)
さすが日本スキーの発祥地だけに、100周年の記念式典関係のパンフレットが、県内各所に出回っていました。記念式典のこととともに、スキー技術を我が国に最初に伝えたレルヒの名前も多くの人に知れ渡っているものと思いました。
上左は、千歳空港から出発する門脇幹事長・原田会長・小原幹事の3人。上右は、新潟からはJRに乗り換えて上越駅に着いた3人を記念式典の歓迎ののぼり旗が出迎えてくれました。下左の上越駅から、上杉謙信公ゆかりの春日山林泉寺に駆け足で立ち寄りました。境内に上杉謙信の墓所と川中島合戦戦死者の供養塔があり、上杉家ゆかりの寺です。
左は、100年記念看板。右は、金谷山のレルヒ像前に立つ門脇・原田・小原の3人。裏日本特有の湿った雪と風で、湿った雪は解けてポケットの中まで濡らしてしまいます。
レルヒ顕彰会場での一本杖スキーと献花・記念写真(報告4)
上左は、一本杖スキーのデモンストレーションをする地元レルヒの会会員。下左は、オーストリアの一本杖スキー保存会代表のエドゥアルド・フュルスト氏ら。上右は、レルヒの偉業を偲んで献花をする小原幹事・原田会長。下右は、上越タイムスにも写真が掲載されたレルヒ像前の集合写真。
今回の記念式典レセプションは、午後5時から「デュオ・セレッソ」を会場に開催されました。そのしおりから式典のプログラムと雰囲気を感じていたたけましたでしょうか。国内外から来賓と関係者が多数出席して大変な盛会でした。
上越市の友好都市リリエンフェルト市からも列席者(報告6)
左上は、会場ステージから挨拶をするリリエンフェルト市のヘルベルト・シュリットヴィーザー市長。右上は、ヘルベルト市長と同市一本杖スキー保存会のエドゥアルド代表、上越市レルヒの会 小堺会長。左下は、ゲストとして招かれたオリンピック日本代表の皆川賢太郎選手・上村愛子選手のトーク。右下は、リリエンフェルト市長とエドゥアルド代表を囲む羽尾理事、藻岩レルヒ会原田会長・左はレルヒの会増田理事。
左上は、レルヒの会会員と藻岩レルヒ会の門脇・小原・原田。右上は、上越市・新潟市を結ぶ特急列車北越1号。左下は、上越高田駅前の小原幹事と原田会長。右下は、新潟レインボータワーから万代橋方面を眺望した好天に恵まれた新潟市内。帰路も新潟空港から空路を利用しました。
100周年記念パンフレットを開くと、新潟上越の輝く峰峰を背景に、上越スキー連盟の役員達・レルヒの会(昔の女子学生に扮装をした女性)と会員・元気な子供達の集合写真がありました。
記念レセプションの会場で、名刺交換をして親しくお話をさせていただいた方々。国や県のお役人さん、地元のスキー関係者、海外からのお客様にもお会いできてとても意義ある記念すべきイベントでした。最後に、上越の仲間達とともに「シーハイル」のエールを大声で唱和しました。(門脇竜二・小原良昭・原田廣記)